日本に帰国したから話す、CDMの是非と誰も知らぬ間に死ぬ人々

昨日、無事にヤンゴンから日本へ帰国することができました。
毎晩20時に国営放送で指名手配リストの公表が開始されてからは、Rice Donation Movement(お米寄付活動)をしている私自身も他人事ではなかったため、無事に帰国できて少しホッとしております。

さて本投稿から3回に渡って、「日本に帰国したから話す」シリーズとして、今回のミャンマーのクーデター期間に私がおこなったことや、感じたこと、決断の一部を記録として残していきます。

1.日本に帰国したから話す、CDMの是非と誰も知らぬ間に死ぬ人々
2.日本に帰国したから話す、Hi-So事業の無期限休業決定に至った経緯
3.日本に帰国したから話す、僕がミャンマーの民衆側リーダーたちに伝えてきたこと

特に最終回の記事は非常にセンシティブであり、場合によっては記録だけして一般公開しないかもしれませんが、いずれにせよ様々な切り口から今回のミャンマークーデターの真実と私自身の考えをお伝えできればなと思います。
様々なリスクを考慮し、このテーマは書かないことにしました。

第一回目は、かなり禁断のトピックである市民不服従運動(CDM)の是非について。
現在、ミャンマーでは民衆側を応援する層はCDMに賛成し、一方で国軍側を応援する層はCDM反対するというように、世の中が綺麗に分断されております。

先に私の立場を明確にしておくと、CDMを通じて軍や軍政の機能不全を促すという考え方については概ね賛成。
ただし、手段が目的化しつつある現在のCDMには全面的に賛成しておらず、特に医療関係者のCDM参加には反対の立場です。
それは何故なのか。順を追って説明しますが、まずはミャンマーのCDM運動の経緯を振り返りましょう。

CDM運動の経緯

在緬邦人の方々は記憶にあると思いますが、2月1日のクーデター発生直後からCDMという言葉と考え方は爆発的に広がりました。
その時、ミャンマー国民が口を揃えていっていたことは、

①72時間以内にアウンサンスーチー等を解放し、国軍は撤退しろ
②デモ活動は衝突に国軍側に”治安維持”という名目での軍事行動を促すため、デモ活動は控えてCDMをしよう

そのため、クーデター当初、ミャンマー国民は政府系、軍系企業に限定した純粋なCDMを継続し、NLD支持者のデモ行進が目撃されたとしてもそれに対して民衆側は「軍が雇った人間がデモをでっち上げている!」とデモ活動を非難していました。

ですが2月4日、マンダレーにおいてでっち上げではない正式なデモ活動が目撃され、そこから徐々に民衆側の心理が揺さぶられていきました。


当時から民衆側のリーダー格として活動する友人が、マンダレーのデモが本物と分かった時にふと漏らした、「遂に動いてしまった。もう止められない。」という一言が今でも私の記憶に残っています。

その翌日、2月5日には前日のマンダレーのデモ、活動家拘束を受け、ダゴン大学構内で大学生によりデモ活動が発生。さらにその翌日2月6日には大学外にも繰り出し、デモ行進が町中でおこなわれ始めました。

その後、平和的なデモ活動が徐々に拡大する中、これまでデモ活動には否定的だった人までも、周囲の”同調圧力”からデモへの参加を決め、徐々にデモ活動がCDMの中心的な活動と捉えられるようになってきました。

またその頃には当初は政府系、軍系企業に限定されていたCDMが民間セクターにも大きく広がり、道路上で車を放置して交通を妨げるBroken Car Movementなどもおこなわれ、CDMの目的が「国軍、軍系企業の麻痺」から、「ミン・アウン・フラインが掲げた経済拡大を志向する方針に対し、”我々が協力しないと果たせないぞ”」という経済全体の麻痺を目的とした意思表示運動にも徐々に移行していきました。

当初、ミャンマー国民の間で、72時間耐えれば国連や米国がすぐに助けに来てくれるという希望的観測があったものの、それが叶わず、怒りを抑えきれず行動に繋がったのでしょう。

平和的なデモ活動はその後、一定期間継続したものの、その後の国軍の民衆に対する非人道的な弾圧は報道でもある通り。

この投稿では民衆弾圧に関しては文量の関係から論じませんが、時々、日本の友人から聞かれる「なぜミャンマー軍はあんなに酷い弾圧をするんだ?」という質問に対する私の回答だけ述べます。

私の回答は「あれでもかなり手加減してる。本気の1割も出してないから、おそらく彼らは自分たちが酷い弾圧をしてる認識はない。」

CDMが経済に与えた影響

CDMが経済に与えた影響はどうだったのか。
CDMの中でも企業側が最も打撃を受けたのは、銀行業務の停止です。この銀行業務停止により、企業側は取引先、従業員への支払いが出来ず、企業活動が大幅に制限されました。
特に多くの労働者を抱える工場は、人件費を払えないことから、すぐにレイオフに入ったところもあり、またこの銀行業務の停止を理由として、一旦、事業を無期限休業したり、撤退を決めた外資系企業も既に出てきています。

つまり、CDMにより都市部のホワイトカラーの多くが職を失うか給与が減額されており、中間層以上の生活にも徐々に影響が出てきています。

では本当にこの政策が国軍側に対して打撃を与えたかというと、私自身は懐疑的です。
国軍がお金に困りシュエダゴン・パゴダの金箔が剥がされている等の噂が定期的に回っていますが、冷静に国の財政、金融を理解していればおかしな話と気付くはずです。

なぜなら今回のクーデターによって、軍事政権は通貨発行権を有するミャンマー中央銀行を支配下に収めており、軍政からすれば、お金が無ければ単純に刷ればいいだけの話。
事実、町中のATMで引き出したお金は新札しか出ないと皆が口々に言うように、軍事政権側は大量に金を刷りまくっているでしょう。

ちなみにドイツの総合印刷企業「ギーゼッケ・アンド・デブリエント」が、4月3日にミャンマー政府への紙幣の印刷システム技術や原材料の供与を停止すると発表しましたが、あれだけ国軍が綿密にクーデターを準備をしていたのであれば、クーデター後すぐに発注しているでしょうし、もしクーデター後発注が止まっていたとしても損傷紙幣や旧紙幣と新札の交換を停止すれば、お金は刷れば刷るだけ増えるでしょう。
金額による紙幣の紙質の差はないので、僕なら最高額紙幣を刷りまくります。

またCDM期間中も軍系銀行については細々営業を継続していたこともあり、改めて考えると、この対象が拡大したCDMについては、民衆側への悪影響があまりにも強すぎる非持続可能な運動なのではないかと考えています。

クーデター、CDMで最も苦しむ都市部近郊に住む貧困層

クーデター、CDMによりホワイトカラーが職を失ったり、給与が減額されたと上述しましたが、実際に最もダメージを受けているのは都市部近郊に住む日雇い労働者を中心とした貧困層です。

それは何故かというと、
①ホワイトカラーは有給休暇が使えたり、企業側が勤務しなくても一部の給与を保証するなど、数ヶ月は耐えられる。
②農業中心の地方農村部は農産物の物々交換が可能なため、短期間では打撃を受けにくい。(中長期ではマイクロファイナンス業務の停止による作付不可の影響はある。)

一方、都市部近郊に住む、サイカー、タクシー運転手、路上の物売り、建設業、工場労働者、フードデリバリーの配達員などの日雇い労働者は、原則、生活保証もない上に、物々交換ではなく貨幣経済に住むうため、クーデターによる人出減とCDMによる企業営業停止は直接的に大きな影響を与えました。(ちなみに弊社Hi-Soの配達員に対しては独自で一部保証を実施。)

そして、モバイルインターネットが切断された今では、彼らのような貧困層の声はなかなか届きにくく、彼らが今どのような生活状況に陥っているのかあまり認知されていないのが現状です。

そこで私としては、今回のクーデター、CDMにより最も深刻な影響を受けている貧困層を助けることが、今のミャンマーが抱える社会課題を解決できる活動だと思い、CDMをもじってRice Donatioin Movement(お米寄付活動)を開始しました。

RDMを通じて分かったこと

4月11日時点で我々RDMは、これまで合計32トンのお米を約8,000世帯、32,000人に対して寄付をしてきました。
その活動を通じて改めて分かったのは、彼らの貧困具合です。
我々が寄付する際に彼らに話を聞くと、大半の住民は職を失い、家財道具を売りながら生活している状況で、中には我々の支援するお米以外に食料品を手にするお金がないという家庭もありました。

またさらに深刻なのはCDMが医療に与える影響です。


彼は我々が支援するダラの村落に住む16歳の少年。持病を抱える彼は病院に通院しながら治療をおこなっていましたが、CDMにより医療関係者が出勤停止、或いはデモ隊への医療支援にシフトした結果、病院に通院できなくなったようです。
横になって寝ると呼吸ができなくなるほど病状が悪化する中、村人同士で彼を助けるべく1日18,000ks(≒1,500円)の酸素ボンベをお金を出し合って買い、彼も痛みに耐えながら日々生活をしています。(ミャンマーの最低日額賃金は4,800ksなので、この村人同士の助け合いがいかに大変かが分かると思います。)

今回、RDMとしても彼を助けようと思い、知り合い経由で開いている私立病院で診察後にICUに入れ、徐々に症状が改善していきました。

我々が彼の存在をたまたま知ることが出来たため、今回、彼の命を救うことができましたが、ミャンマーでは彼のような医療難民によって亡くなっている人が多く発生しているでしょう。医療関係者のCDMによる間接的な悪影響も考慮する必要があると思います。

今回、我々がサポートした彼の件については、民衆側の学生リーダーたちにも伝えたところ、彼らも事態を深刻に捉え、CDM、デモ参加者以外への医療支援についても関係者と話し合うということになりました。

固定回線などあるはずもない彼らの様な貧困層の声はミャンマーでは殆ど聞こえません。
またさらに、ミャンマーでは”同調圧力”が強く働き、CDMを(一部)止めようという声や、国軍とCDMを盾に交渉しようという声をあげることすらできなくなっております。

ですが、現在のCDMは持続可能なアクションではないため、このままでは限界を迎えるのは確実です

今のミャンマーでは貧困層は自分たちの困窮ぶりを訴える手段がなく、「限界!」と叫べるのは、自ずとホワイトカラーなどの中間層以上だけに限定されます。
ということは、中間層以上が「限界!」と叫ぶ頃に、貧困層は限界をとうに突破していることは確実でしょう。

まとめ

今のミャンマーにおいて、貧困層の支援は喫緊の課題であり、正直、CDM支援よりも何十倍も重視される課題だと思います。
むしろ、CDM側に資金が集まり続けることは、貧困層が限界を突破してから中間層以上が限界を迎えるまでの時間を長引かせる可能性があります。

では今のCDMを完全肯定しないのであれば、一体、高田は何をするべきと考えてるのかと問われると思います。
その答えは、第三回 「日本に帰国したから話す、僕がミャンマーの民衆側リーダーたちに伝えてきたこと」に記載するので少々お待ち下さい。

今回、自分自身の経験から現在の経済機能不全を目指す現在のCDMに対して問題提起をしてみました。ミャンマーでこの発言をすると、私は軍寄りだと勘違いされ、社会的制裁(Social Punishment)の対象にされるかもしれませんが、是非、読者の皆様には現場を知るからこその一つの視点としてご理解いただければ幸いです。

またもし読者の方で、ミャンマーの貧困層への支援をしたいという方は、こちらのRDMのサイトからフォーム申し込み、お振込みいただければ、我々が皆様の代わりに寄付をしてきます。

尚、勿論、今回の国軍のクーデターは非人道的で許されないことだと私も認識しており、今の国軍の弾圧については大大大反対の立場ですので、何卒誤解なさらぬよう…

 

 


当ブログをお読み頂きありがとうございました。 

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